近年のポジティブ心理学の隆盛を受け、職場におけるメンタルヘルス対策として,ワーク・エンゲイジメント(work engagement)という新しい概念が注目を集めています。ワーク・エンゲイジメントとは、疲弊し仕事への熱意が低下した燃え尽き(バーンアウト)の対概念として、2002年にオランダ・ユトレヒト大学のシャウフェリ教授が提唱した新しい概念です(Schaufeli, et al., 2002)。労働者が心身共に健康でいきいきと熱意を持って働くことは,職場全体の活性化や離職率の低下、生産性の向上などにつながり,非常に望ましいことだと考えられています。
私はこれまで大学教員として,看護師,介護職,保育者,教員といった対人援助職の方々から研修会の依頼を受けることが多くあります。その中で,エッセンシャル・ワーカーとして重要なお仕事をされている対人援助職の方々が燃え尽きることなく,長く勤務し続け、専門職としての誇りを持ちながら,熱意を持って健康的に働くにはどうしたらいいのだろうか,心理学はどのように貢献できるのか,常々考えてきました。最近は,一緒にお仕事をする機会の多い保育者の先生方にご協力いただき,子どもたちの心と体を健やかに育む役割を担う保育者のワーク・エンゲイジメントに焦点を当てた研究をおこなっています。
臨床心理学をやりたいと息巻いていた大学3年生の時,興味の持てる実験テーマがみつからず,当時心理学研究室の主任教授であった小牧純爾先生の部屋へ相談に 行きました。小牧先生はおもむろに本棚から一冊の本をとりだし,「こんなのはどうですか」と私に差し出してくださいました。その本は,学習性無力感理論を 提唱したセリグマンの著書「うつ病の行動学」でした。これが,私と学習性無力理論との出会いです。その時以来,私はシンプルでダイナミックな学習性無力感 理論に魅せられ,大学3年の課題である実験レポート,卒業論文,修士論文,博士論文,すべて学習性無力感理論に関する研究をおこなってきました。
私たち人間は,生きていく中で様々な出来事に直面します。しかし,どんなにつらい出来事や悲しい出来事に直面したとしても,深い無力感や絶望感に陥らず,心 の健康を保てる人がいます。無力感におちいる人とそうでない人の違いは何だろうか。このメカニズムについて解明するため,学習性無力感理論をもとに,実験 的手法および質問紙調査法を用いて研究をおこなっています。依然として自殺する方が多く存在する日本の現状において,自殺につながるうつ病に陥らないよう にするにはどうしたらいいのか,考え続けていこうと思っています。
巷にはポジティブ思考を推奨する本があふれています。ネガティブなことを考えるのは良くない,ポジティブなこと考えるのは良いことだ。このような思い込み,先入観がまかり通っています。しかし,本当にそうなのでしょうか。
重 要な試験を控えて,想像できるあらゆる失敗やアクシデントを予想し,ネガティブなことをくよくよ考え込んでしまう。失敗を恐れるからこそ,高い不安を動機 づけとして一生懸命試験勉強をおこない,結果としていつも良い成績をとることができている。このような経験のある方は日本人には多いのではないでしょう か。このようにくよくよ考え込むことによって高いパフォーマンスを維持している人を,アメリカの心理学者ノレムは防衛的悲観主義者と呼びました。くよくよ 考え込むのがその人の対処方略となっている場合,そのような人に無理矢理ポジティブ思考をすすめてもうまくいかないことが実証されています。防衛的悲観主 義という考え方は,誰もがポジティブ思考をとればよいわけではないこと,その人にとって最もふさわしい対処方略というものがあること,その人がどのような 人なのか見極める必要があることを教えてくれます。
アメリカにはポジティブ思考を推奨する傾向が日本よりも強く,文化として存在します。そのようなアメリカにおいて,ネガティブ思考を否定しないこの考え方は とてもユニークで大きな注目を集めました。私は,日本でもこの防衛的悲観主義という考え方が通用するか,研究をおこなっています。
私には二人の子どもがいます。下の子は聴覚障害を持って生まれました。原因は不明です。私はこれまで聴覚障害者と関わったことがなく,ろう学校や手話につい ての知識もまったくありませんでした。障害を持って生まれた子を養育するという経験を通じて,私はたくさんの人々から支援を受け,たくさんのことを学ぶこ とができました。そしてこれからも学び続けていくのだと思います。親として,心理学に携わる者として,臨床心理士として,私にできることはなんだろうか。 障害に関する心理学研究をこれからの私のライフワークにしていこうと考え,少しずつ取り組み始めています。
平成21年度より,大阪大学・金沢大学・浜松医科大学連合小児発達学研究科(連合大学院)と金沢大学子どものこころの発達研究センターの教員を兼任するこ ととなったため,発達障害に関する研究に関わるようになりました。個人的には,聴覚障害児の中には発達障害を併せ持つお子さんも多いという印象を持ってい ます。このことは,視覚的情報処理に優れているという器質的な特性に由来するのではないかと推測しています。これから取り組んでいこうと考えている研究 テーマです。
また医療従事者として,金沢大学附属病院子どものこころの診療科(http://kodomokokoro.w3.kanazawa-u.ac.jp/menu_01/01.html)において発達障害のお子さんとの面接をおこなう臨床業務にも携わっています。